A Life Less Ordinary

Webエンジニアのポエム

打ち上げ花火

視座が変わるとは、こういうことを言うのかと。

 

いちエンジニア時代は、名が知れた方のブログに少し羨望を抱いたり、有名なサービスを手掛けるCTOのセッションに陶酔し、「感じる」ものだった。

 

最近は、そういったものを見返すと、この人が部下ならどうするか?とか、この戦略は果たしてウチでも成功するのか?などを「考える」ようになった。

 

目新しくない表現だけど、今まで、打ち上げ花火は下から見てたから綺麗だったけど、真横で見るようになり、風流だねとか言ってる場合ではなくなった。

 

きっと、色んなことに感動しなくなるのかもね。

与える男

タイトルはユニコーンの曲から。曲はいわゆる「あげちん」がテーマだけど、私の方はそうではない。

7月から役職が変わった。これまでは係長的な立場で、取りまとめの範囲はごく限られていた。与えられたものを下に伝達する感じ。
それが、全く変わってしまった印象がある。

与えるものを自分で考えなければならない。骨子は役員が考えるが、具現化するための方策やプランを練る必要がある。
そしてその練ったものが誤ると、多くの社員に影響が出てしまう。

これまでの、あーだこーだ理想ばかり考えて責任が及ばないような立場から、現実を直視しながら妥当性をもって遂行しなければならない。そこには当然、責任がのしかかる。

まったくもって気が抜けない。

ただ、やるからには必死にならなければ。

そもそも、私が選ばれたのはいろいろ理由があるとは思うが、一番の決め手は、「やり切ること」ではないだろうか。
会社の経営企画会議に参加したことはないが、おそらくではあるが、議論がそもそも論になりがちで話がなかなか進まなかったのではないか。
私なんてのは、ある程度理解すると、細かいことは気にせず(本当はじっくり考えると細かい矛盾には気づくのだが、気づくまでが遅い)それなりに推進することはできる。そこを買われた気もする。

細かいことを気にせず引き受けたが、よくよく考えると、なんとなく不安。
ただ、以前よりも成長の目的ができているので、動きやすいかな。

まずは3カ年計画でも立ててみますか。

捨てていく

ちょっと公私ともに立て込んでて。
公は仕事で、予期せぬタスクが降ってきて、
私は育児家事で、子供が手のかかる時期で、妻に任せっきりにせず自分なりに積極的にやっているつもりの中、
ここ数日は子供のインフルも手伝って文字通り心を亡くす忙しさであった。
家のことが終わって子供が寝たら、残ってる仕事を片付けるスタンスで数年やってきたけど、もうその気力もなくなるぐらい。

自分の年齢や子供の成長、環境、いろんな要素をもって、昔のようにはいけないことを痛感した。
35歳まだまだ若いつもりでいたけど、寝ても疲れが取れにくくなり、体力をつけるための時間も取れない。
上の子は物心もつき、もっと寄り添って成長を見守って行きたい。
妻の仕事上、土日どちらか家事育児を一人でやっており、年齢も手伝って体調を回復させるには1日では少ない。

時間的に余裕がない中、何かを足すことは無理だ。引く、すなわち捨てていくしかない。

ということで、昔のような働き方を改めようと思う。

今まで自分は、子供就寝後の時間や休日を仕事のバッファとして捉えてタスク配分してきた。
いざとなれば、その時間が使えるだろう、と。
しかし、その時間は本当に使うべきことに充てた方がいいと思った。
早く寝るはもちろん、技術向上の時間、妻との団欒、部屋の整理整頓など。
物理的にもそうだが、精神的にも余白がないと本当に潰されてしまう。

35歳は、誰が言ったか働き盛りとか言われ、その通りにしないといけないと思ってる自分がいたけど、それは嘘。
とっくにピークは過ぎている。会社の人に「使えない」と思われてもいい、自己中でいこう。

技術に真面目に

新春の抱負として、今年はエンジニアとして圧倒的な力をつけます。CTOになりたい。いや、会社にそんな役はないけど、そのくらいの勢い。

 

ひとまず、やりたいこととしては、

・矛盾の少ないコードを書きたい

・Rustやりたい

AWSプロフェッショナル取りたい

IPAの高度資格取りたい

・ISUCONで本選行きたい

・CSの勉強したい

 

こんなところで

 

 

 

お金に真面目

会社の先輩がもうすぐ辞めるのだけど、ビジネスマンとして学ぶことがあった。

というのも、日本人にありがちな、「サービスでやってあげる」というのが極力なかった。基本的に契約に書いてないことはやらない。そして、もう一つ挙げるなら「お金に真面目」だった。提供する価値に見合った額を適宜見定め、不当な評価に繋がらないよう努めてたように見える。まあ本人はそんなことないって言いそうだけど。

 

 

悔しさにまみれた2017年

今年は仕事面で悔しさを感じることが多く、楽しいと思ったことはない。
悔しさは大小様々。


手がけたサービスをグロースできなかったこと。
100万円プレーヤーになれなかったこと。
お前には、「○○(技術力の高い会社)に入るのはムリだよ」と言われたこと。
同僚に追い抜かれたと感じたこと。
FukuokaRubyKaigiのCFPが採択されなかったこと。
会社のエースが辞めて有名な会社に行くこと。
別会社との案件で、期待に添えられていないこと。


その悔しさをすぐ跳ね返すための即効性のある武器を持っておらず、未完成のやる気だけが一人歩きばかりしていた。

できることなら、上に挙げた全ての悔しさを晴らしたい。

ただ、上に挙げていないのも含め、悔しさには2種類のタイプがある。
それは、
・悔しさが晴れたら忘れるもの
・悔しさが晴れても忘れないもの
である。

前者は、頑張って晴らしても過去の汚点みたいなものが無くなるだけで、スッキリはするかもしれないけど、長期的にはあまり意味がないのかもしれない。
後者は、物足りず晴れてもなお進めることができるので自分の成長にも繋がる気がする。

そういう視点で見ると、今年、本当に悔しかったのは何だろう。
もともと、悔しさを感じても、長くても半月で忘れちゃうから、そこら辺、本当に見極めが難しい。悔しさなんて、本当は感じてないのかもしれない。

向こう10年を考える

気がつけば社会人まる10年やっている。
就活のときは、これといって夢があるわけでもなく、10年先のことなんて考えることもせず、ただ都会に憧れてWeb制作に関係する東京のイケてる会社を受けまくった。
しかし、思うように内定取れず、やっと内定頂いた会社では刺激的なことが多かったのだが、思い描いていた憧れの都会生活・新社会人生活とのギャップにもがく日々。
大学時代の彼女とも別れたのもあって、飄々とやってるつもりで精神が緩やかに悪くなっていった。
今思えば、若さで気づかなかったけど都会で独りというのは自分に合わなかった。

このままではまずいと思い、意を決して転職。
地元に近い福岡で腰を据えて暮らそうとした。

次の会社は、設立から浅く、面白そうな仕事をしているベンチャーだけどちゃんと会社の体を成してて、社長ともウマが合いそうなところがよかった。
なんとも冒険しきれない要望ではある。
ただ、そんな要望を叶えるWebシステム開発の会社に運良く入ることができた。

若くかつ地方の会社ながら当時は、土曜出勤があって自己の研鑽時間に充てれたり(つまりはお給料を貰いながら勉強ができる)、遅刻するとスタバを奢らされるといったユニークな罰があったり、アフロな人がいたりと面白い会社だった。
仕事内容は、やったことないRubyをいきなり任されそれまでやってたJavaのクセが抜けきれずにJavaっぽいRubyを書くねと言われたり、少しだけ興味のあったスマホアプリの開発を本格的にすることになり外注で来てくれた方にObjective-c教わったり、何かよくわからないけど社員が考案したWebサービスを引き継いで鬼軍曹にUIについて厳しく問い詰められてTry&Errorを繰り返したり、研修で行ったアメリカでは入国審査で止められて別室で問い詰められたり、AWSの黎明期に構築し終わったEC2をAMI取らずにTerminateして肝を冷やしたり。
自分は会社の中でも割と幅広い経験をさせてもらった方だと思う。案件としても「面白い」と思えるものばかりやらせてもらった。会社に幅を持たせることができたのではないかと自負している。

で、これといって何かに抜きん出ているわけではないが、フルスタックエンジニアというものに近い能力は身についた。一人でそこそこはできると思う。





ただ、ここ数年思う。
「何でもできる、は、何もできないのではないか」と。
自分が対応可能な領域には、それぞれにエキスパートがいる。当然、その人たちには勝てないし、いつも打ちのめされる。
その最たる例がRubyKaigiだった。一応自分にとってのメイン言語はRubyだが、年に一度のカンファレンスであるRubyKaigiにいくといつもやるせなくなる。そこで発表される内容にあまりついていけない。自分はRubyに"使わされている"と思い妙に焦燥感が出る。Rubyのコミッターの方々には、何も勝てる気がしない。
それだけでなく、iOSAndroidAWS、UXの勉強会でも、最前線を進んでいる人を見るといつも負けた気がしてしまうし、自分は一体何をしているんだろうと思う。悔しくもあり、かといって今更追いつけないやという諦めもあり。

また、社会人としてのポジションも中途半端だ。
自分は受託開発のPLもやったし、WebサービスのDevOpsも経験した。
ただ、「経験」したに過ぎず、これも何か抜きん出ているわけではない。「無難」にこなすことはできても、納品のない受託開発を掲げるような倉貫さんにはなれないし、福岡のWebサービスを牽引してきた縣さんにも敵わない。

とにかく、たぶん、中途半端にいろいろできるがゆえに、勝負できそうな領域が多い分、負けると感じる機会も多い気がする。機会が多いから負けっぱなしになって、「俺って何もできねえ」と思うんだと思う。


この10年はいろんな経験をさせてもらった。これは間違いなく自分にとってはよかった。若いうちから何かに縛られるようなことは、たぶん性格に合わない。
問題はこれから。この先10年で自分がどうなっていたいか。
10年後は43歳。子どもは12歳でもうすぐ中学生だ。たぶん実家の熊本に帰っているだろう。
熊本でどんな仕事をしているのか。家業を引き継いでいるのか、プログラミング講師でもしているのか、今の会社のままリモートワークしているのか、Webサービスを手がけているのか、閉鎖的な風土に嫌気がさして離れているか、何かに夢破れただひたすらライン作業に徹する日々か。
今書いたことは、割とどれも選択肢として考えてはいる(ラインは嫌だけど)。当然、思いがけない仕事をしていたりするかもしれない。
ただ、一つだけ言えるのは、10年後も、「この先10年で自分がどうなっていたいか」なんて考えたくないということだ。
今は「私はコレで生きていく」というモノが欲しいのだ。決して無難ではない、誰にも負けない何か。
それはもう、ここ1年以内には見つけないといけない気がしている。
時間はちっとも待ってくれない。